codomo | codomo - Part 9

The Secret Garden

映画「花とアリス殺人事件」を観てきた。岩井俊二監督の「花とアリス」の続編である。内容は簡単に言うと、転校生のアリス(蒼井優)は自由奔放な性格で、不登校をしていた花(鈴木杏)と仲良くなっていく。2人の少女による青春群像劇であり、英語で言うと”In short, positive girl(Alice) moved place and negative girl”というわけなのだ。
ある番組で岩井俊二の映画世界のことを、蒼井優が“おじさんの中の乙女心”だと指摘していた。なるほど少女とは、自分が見たい世界を見るものである。その世界は、酸いも甘いも知っている大人よりもかなり純潔なものであり、それを大人たちは少女性などと呼んだりするのだ。じつは“おじさんの中の乙女心”はモノをつくる上ではとても重要なファクターで、これがなければ未来をつくれず、きっと現在進行形のモノしか出来ないことであろう。理想的な世界を感知する力だと思う。昔は誰でも持っていた、けれど大人になると現実に囲まれてしまい忘れていく。それが乙女心なのだと思う。いくら現実という厳しい嵐が吹き荒れようと、決して壊れない自分だけの秘密の花園は在って良いはずなのだ。 2015/3/10

Because it’s there

クライマーの本をいくつか読んだ。僕のお勧めは「孤高の人」「垂直の記憶」「クライミング・フリー」である。
「孤高の人」は実在の登山家である加藤文太郎の話。文太郎は大正から昭和にかけて活躍した登山家で、パーティで登るのが常識だった山岳界を、数々の単独行によって覆した人である。彼の日常生活はすべて、山のための修錬であり、寒い日に庭でビバークしたり、会社に水を何ℓも詰めたザックで歩いて出勤した。登山のための生活、シンプルな欲望に感銘を受けた。彼は単独行では最強だったのだが、パートナーを組んで登った際に命を落とした。
「垂直の記憶」はアルパインクライマー・山野井泰史のエッセイ。彼は主に単独登攀家であるが、妻の妙子とザイルパートーナーを組む。ヒマラヤのギャチュン・カン北壁では登頂を果たすも、嵐と雪崩に巻き込まれる。脱出に数日間彷徨い、ベースまであと少しで、妻・妙子の力が尽きそうになり、泰史は自分だけでも先に辿り着くべきと判断し、妻を置いていく。ここで妻を見るのがもう最後かも知れないと思い写真を撮る。身内の最後かもと判断したときに、その姿を撮る判断は僕の日常ではない感覚で、山を登攀する人間の覚悟というか精神性を垣間見た気がした。
「クライミング・フリー」はリン・ヒルの自伝。彼女はヨセミテに代表されるビッグウォールを己の力のみで登攀するフリークライマーである。体操で培った柔軟で美しいムーヴで女性クライマーの歴史を塗りかえた。クライマーの方々の本を読むと、欲望について考えさせられる。溢れた娯楽で、己の欲望を中途半端に満足させてしまうと、最優先したい欲望が鈍化してしまう。自分が何を叶えたいのか自覚しないと、真の欲望は先鋭されない。ピークには辿り着けない。 2015/1/15

Just do it

世の中には、ストレスに強い人と弱い人がいる。どうしてストレスに強い人がいるのか、そのナゾが先日ひょんなことで解けた。体力には「行動体力」と「防衛体力」と呼ばれる2つがあるそうだ。「行動体力」は、その名の通り行動するときに必要な筋持久力のこと。「防衛体力」は、寒さや免疫力、精神的ストレスに対する耐久力のことだ。どちらもジョギングや水泳などの全身持久力のトレーニングで鍛えることができる。「行動体力」は主に心肺機能を鍛えると増す。一方「防衛体力」は副腎という器官を強くすると良い。副腎が鍛えられると、ストレスへの抵抗力を持つホルモンの生産力を上げることができる。心を落ち着かせる他の手段としては、茶道や禅、ヨガ、アロマなどがある。だが、人間の器官そのものを強くすると、心にも影響が出るというのが非常に面白い。あなたの悩みは、心の持ちようではなく、器官を強くすることでやがて無くなるかも知れない。登山家が寒さや死の恐怖に強いのは、持って生まれた性格などではなく、副腎を鍛えているからなのだ!ナゾはすべて解けた。参照「山でバテないテクニック」山と渓谷社。 2015/1/8

Five Ten

Five Tenというクライミングシューズメーカーの”イグザムガイド”という靴である。Five Tenはソールを独自に研究開発し、そうして完成したのが”ステルスラバー”だ。このソールが出来た当時は、多くのクライマーがFive Tenのシューズにこぞって買い替えたほどだそう。岩場を歩く場合、大事なのはフリクションである。様々な形をした岩と、形状に変化のない靴の底が、接する面積をどう広くできるかどうか。静止摩擦係数が多いほど、滑りにくくなるのである。そうして編み出されたものが”ステルスラバー”というわけだ。実際はどうなのか、屋久島の宮之浦岳に登ったときに試してみた。前回は、単なるスニーカーだったので、水場の多い岩場では何回も転んだ。ところが、やはりステルスラバー。今回は一度も転ばなかったのである。けれども、クライミングメーカーの靴だからなのか、イグザムガイドはジャストサイズで履いても、若干窮屈さを感じる。クライミングシューズは本来つま先に力が入るように窮屈に出来ているものなのだが。イグザムガイドは、アプローチシューズというカテゴリに入っている。クライミングする岩場まで、歩いていくための用途なのである。なので、縦走するような長距離登山には向かないのかも知れず、他の靴よりも脚に疲れを感じた。ただ、中距離登山ならさすがに安定したソールだと思う。沢登りとかに向いているのかも知れない。滑らないという点では、ほぼ最強だと思う。誰とでも仲良くはしないスペシャリストなやつなんだと思う。 2014/06/14

Imagine ahead of the move

武井壮というひとがこんなことを言っていた。少年野球をやっていた頃、全打席ホームランを打とうと思っていた。けれどそれは容易に叶わず、ある日父親がホームビデオで撮った映像を見たときに、武井氏は愕然とした。自分が思い描いていた姿とあまりにかけ離れた姿だったからだ。スポーツは自分の思うように身体が動けば全てが成功である。あの棒を飛びたい、あそこにヒットを打ちたい。それを発見した時、武井氏は雷に打たれた衝撃だったという。つまりスポーツそのモノの練習をしても意味はなく、自分の身体を思うように動かす練習だけをすれば良い。ナルホドと思った…。僕は最近ボルダリングをしていてよく思う。思い描くムーブはあるのだけれど、身体が思うようについて来ないのだ。つまり自分を動かせていないのだ。それでグラフィックデザインの話に繋がるのですが、思い描いたものを絵として可視化させるためには、自分の技術を思うように動かさなくてはならない。これもデザインの練習ばかりしても仕方ない。相対的に自分の能力を知ることが練習の第一歩である。 2014/1/19

The Lonsome Traveller

加茂克也さんの展示を先日観にいきました。ファッションショーのヘアメイクで有名な方なんだなぐらいの事前知識でした。作業机や日常で採集しているコラージュBOXも展示されていた。造形の凄まじさも然ることながら、加茂さんのDIYぶりにとても感銘を受けました。グラフィックデザインにおいても、パソコン上だけで構成するのではなく、やはり人の手で作ったブレというか、揺らぎを取り入れたいと常々考えていたりします。けれども、その揺らぎなるものは、ひょっとすると危うい地平であり、自分自身を信じて突き切ることでしか先鋭されないものだったりします。他を省みない孤独な旅人が行き着く地平である。そもそも人はそれぞれ違うのだから、それぞれのやり方で良いのだと言われている気がしたのでした。 2013/11/26

Elements are Confidence

自信ってなんだろうと時折、考える。人によっていろんな解答がある。主導権を握ることだと言う人。場数だと言う人。ボーンズ・ブリゲートという映画がある。プロスケーターのドキュメントなのだが、ロドニー・ミューレンというスケーターが出てくる。彼は11歳でプロになり20代前半まで35の大会で34勝し、数々の革新的なトリックを生み出したパイオニアだ。彼の回想をきくと、朝から晩まで練習し酒も女にも眼をくれず、ボードを抱いて眠っていたそうだ。純粋にほんとに純粋にスケボーだけに執心して就寝していたのだろう。こういう人を見ると、自信というのは単なる言葉だなと思ってしまう。フィギアの浅田真央選手は自信ありますか?と記者に訊かれると、いつもこう答える。自分のなかのエレメントを発揮するだけですから、と。僕はいちばんこれがしっくり来ている。普段、観ているもの、感じてきたものを、至る瞬間に表現できるか、それでしかない気がする。だからロドニーも浅田選手も練習した。その瞬間に発揮するため、ひたすらエレメントを自分の中に積み込んで。自信とはそんなモノだと今は思う。 2013/4/20

i am who i am

君がどこに住もうと どんな仕事をし 何を話そうと 何を食べ 何を着ようと どんなイメージを見ようと どう生きようと どんな君も君だ 独自性ーー人間の 物の 場所のーー独自性 身ぶるいする嫌な言葉だ 安らぎや満足の響きが隠れている”独自性” 自分の場 自分の価値を問い 自分が誰か”独自性”を問う 自分たちのイメージを作り それに自分たちを似せる それが”独自性”か? 作ったイメージと自分たちの一致が? ぼくらは都市に生き 都市が生きて 時とともに 国から国へ動き 言葉や習慣が変わり 考え方や服が変わる 全てを変え 全てが変わっていく もはやオリジナルもコピーもない 全てが”コピー”だ オリジナルとコピーの違いがなくなった ”独自性”は弱くなった ”独自性”はアウト流行遅れだ(中略)。これはヴィム・ヴィムダースがヨウジ・ヤマモトを撮った都市とモードのビデオノートという映画の冒頭文。誰と会っても同じ印象を人は抱かない。綿毛のようにすぐ飛んでいき、知らない処で勝手に咲いているようなもので、そういう微かなものを、私と主張するのは妙な気分でどこか落ち着かないとふと思う。 2013/04/18

Style is Everything

Les Twinsというフランスの双子ダンサーがいる。舞踏にはブレイクダンスやクラシック等様々あるが、枠に収まらないことがある。Les Twinsは独自の動きをする。動きが独特というのはよくある話だが、彼らは”Style”を持っている。『Dogtown & Zboys』という映画がある。水のないプールでスケボーを始めた人達が描かれているドキュメントなのだが、彼らの始めたトリッキーな滑り方は、やがて全米へ、世界へと広まっていく。”Style is Everything”だと彼らは言う。不思議なことに始まりはエッジの効いたマイノリティなものほど、波及すると新しい文化になる。かつて、ヴィヴィアン・ウエストウッドが小さな店から始めたボンテージは反骨の象徴としてパンクという文化をつくったように…。Les Twinsよりダンス技術が上手い人は沢山いる。けれど、独自の”Style”を持っているということがとても貴重なのだと思う。とは言え、独自であれば何でも良いわけでもなく、それは格好良くなければならない。流行るということには、美がついてまわる。 2012/09/21

Tom boy

空をプールのレーンに空目した夏。今年はロンドンオリンピックの夏だった。柔道の松本薫選手の闘争心と集中力には感服した。女性に失礼だが、まるで獣のような闘いだった。アンダーワールドという映画の狼男族を思い出した。一瞬の集中力は凝縮された濃度の高いもので、勝負の舞台でそれを発揮できること。プロフェッショナルの精神を感じた。心・技・体とよく言うが、3つどれも欠けさせずにパフォーマンスを発揮するのは、凄まじい集中力の賜物だ。レスリングの小原日登美選手は、松本選手とはまた違う精神性を感じた。人生や経験、人の想い、これまで生きて背負ってきた力を感じた。若さは、大胆で野心的な自信家であり、それは魔法のかかった勢いのようで、時に才能とも呼ばれ他を圧倒する。小原選手は最盛期を過ぎた選手であるが、年輪の強さを見た。年を重ねるということは、多くの時間が人が通り過ぎ、それらは自分を奮い立たせる力になる。闘争心は自分の野心だけでは呼び起こされない。闘いに男も女も最盛期を過ぎようが関係ない。相手すらも関係ないのかも知れない。人は横を見ながらは速く走れない。前だけ見て走る集中力がほしい。 2012/09/04

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