恵比寿のantiques tamiserで行われたPETER IVYの展示を観て来ました。
PETERさんの作る、薄く透明なガラス工芸の数々は、始めは生活の必需品として生まれた。今回の展示では、ガラスのペンダントライト等の照明作品を発表していた。鉛を塗ったガラスシェードは、金属のように鈍く光り、けれど電球を透過させるガラスの繊細さを持ち合わせていた。
和室に合うと思い、一目惚れで購入した。その後、PETERさんとお話する機会があった。現在、富山で古い日本家屋を購入し、住むために少しずつリフォームしているらしい。このペンダントライトも、その家に合うように制作したそうだ。和室に合うと感じた理由も、何だか納得してしまった。
古き良き日本の生活様式やデザインが、現在の作り手に翻訳され、新しいモダニズムに変遷していく。翻訳者はPETERさんのように日本の方じゃない場合も多い。当たり前のように過ごしている日本人には、気づかない日本の良さが在るのかもしれない。温故知新という言葉もある。
また横井軍平という人が「枯れた技術の水平思考」をすべきだと言っていた。「枯れた技術」とは、最先端ではないが、すでに広く使われて、ノウハウも固まり不具合も出し尽くして安定して使える技術のこと。「水平思考」とは、今まで無かった使い道を考えることである。これは主に技術の話だが、文化にもそういう思考は巡らせても良いと思った夜でした。便利を追求した失楽園になる前に。 2018/12/8
近頃、古道具を扱っているお店をよくネットで見ている。これは1910年代頃に使われていたリール式洗濯紐。商品名は“SATURN”その名の通り土星をイメージしているようだ。柱などにフックで本体を引っ掛け、必要な時だけロープを引っ張り出し使う。ロープはループ状になっていて、片側3m90cm。一周7m80cmもある。早速購入して使っています。昨今、アメリカ大統領がトランプになり「アメリカファースト」を掲げ、反グローバル化時代と言われています。インターネットが広まって以降、精神的な国境も消えたように思えましたが、イギリスがEU離脱したりと、先進国は徐々に国内にその眼を閉じていて、広がり過ぎたものは一度閉じる。そんな気がします。養老孟司さんが言っていましたが「人間は同じにする精神性がある」そうです。隣と似たような家に住み、服を買い、車に乗り、休日の過ごし方をする。きっとその方が精神的に安堵するからだと思います。今、古道具を見ると、こうした異形の生活道具は、やはり世界は当然のように分断されていて、そして世界が広いことを感じさせます。 2017/04/25
大相撲が面白い。昨年から毎場所観ている。居ても立ってもいられず国技館にいったほどだ。2016年初場所、日本人力士が10年ぶりに優勝した。大関・琴奨菊は3横綱を破り、全勝で勝ち進み、途中、少年時代からのライバルである豊ノ島に唯一1敗したが、終始、得意のがぶり寄りで優勝まで辿り着いた。大相撲を観始めたのは、あるドキュメントがきっかけだ。33歳のその力士はスランプであった。これまで小柄ながら、立ち合いの強さと運動神経で土俵に立ってきたが、外国人などの大型力士とぶつかり合った際怪我をし、それが立ち合いの時に強く踏み出せないトラウマになった。理屈では分かっても身体が踏み出せない。当然のことながら、自分と同じようにお相撲さんも人間だ。怖いという思いは生まれる。この自分と年齢の近い嘉風という力士がどのように克服するのか興味が生まれた。嘉風は、躍動した。場所を追うごとに、スピードを武器に勝ちを重ねた。1年で前頭から小結へ、そして関脇まで昇った。獅子奮迅の相撲だった。年齢に反比例した強さを記者に問われると「相撲を楽しんで全力を尽くすだけ」と言う。人は心が大事なのだと心底思った。 2016/1/26
超能力のこと、たまに考えます。昨今、瞬間移動と空中浮遊のどちらが出来たら良いか、人に訊ねると大概、現実主義者は前者であり、ロマンチストは後者である気がします。それはさておき、もし超能力が使えたとしたら、僕は絶対秘密にしておきます。
たとえば空を飛べたら、フリークライミングのプロ選手になります。フリークライミングは、己の筋力のみで登攀する近代スポーツです。されど筋力には限界があり、その場合は総じてフォールしてしまうのです。しかし、僕は落下しません。そうです、空中浮遊ができるからです。誰にも気付かれないよう微妙に浮いておきます。「信じられないクライムだ!」等ともてはやされるわけです。この分からないように、微妙に浮くというのがミソです。空中浮遊の贅沢な使い方です。
そして、時間を止める能力(3秒程度)を得た場合、僕はプロボクサーになります。もうパンチ避け放題です。あるいは闘牛士になっても良いかもです。もう牛避け放題です。ボクサーとしてのパンチ力とかそんな問題は棚上げです。何せ時間を止められるのですから、がら空きのチン(顎)にパンチを叩き込めるのです。僕の脆弱なパンチでもノックアウトの山が築けることでしょう。そのうち、N○Kのアスリート解剖番組とかに取材申し込まれると思います。もちろん拒否します。
このような超能力の使い方は、僕でも思いつくわけですから、もう既に本物の超能力者はアスリートの中に紛れているかも知れません。信じるか信じないかは、あなた次第です! 2015/4/12
映画「花とアリス殺人事件」を観てきた。岩井俊二監督の「花とアリス」の続編である。内容は簡単に言うと、転校生のアリス(蒼井優)は自由奔放な性格で、不登校をしていた花(鈴木杏)と仲良くなっていく。2人の少女による青春群像劇であり、英語で言うと”In short, positive girl(Alice) moved place and negative girl”というわけなのだ。
ある番組で岩井俊二の映画世界のことを、蒼井優が“おじさんの中の乙女心”だと指摘していた。なるほど少女とは、自分が見たい世界を見るものである。その世界は、酸いも甘いも知っている大人よりもかなり純潔なものであり、それを大人たちは少女性などと呼んだりするのだ。じつは“おじさんの中の乙女心”はモノをつくる上ではとても重要なファクターで、これがなければ未来をつくれず、きっと現在進行形のモノしか出来ないことであろう。理想的な世界を感知する力だと思う。昔は誰でも持っていた、けれど大人になると現実に囲まれてしまい忘れていく。それが乙女心なのだと思う。いくら現実という厳しい嵐が吹き荒れようと、決して壊れない自分だけの秘密の花園は在って良いはずなのだ。 2015/3/10
クライマーの本をいくつか読んだ。僕のお勧めは「孤高の人」「垂直の記憶」「クライミング・フリー」である。
「孤高の人」は実在の登山家である加藤文太郎の話。文太郎は大正から昭和にかけて活躍した登山家で、パーティで登るのが常識だった山岳界を、数々の単独行によって覆した人である。彼の日常生活はすべて、山のための修錬であり、寒い日に庭でビバークしたり、会社に水を何ℓも詰めたザックで歩いて出勤した。登山のための生活、シンプルな欲望に感銘を受けた。彼は単独行では最強だったのだが、パートナーを組んで登った際に命を落とした。
「垂直の記憶」はアルパインクライマー・山野井泰史のエッセイ。彼は主に単独登攀家であるが、妻の妙子とザイルパートーナーを組む。ヒマラヤのギャチュン・カン北壁では登頂を果たすも、嵐と雪崩に巻き込まれる。脱出に数日間彷徨い、ベースまであと少しで、妻・妙子の力が尽きそうになり、泰史は自分だけでも先に辿り着くべきと判断し、妻を置いていく。ここで妻を見るのがもう最後かも知れないと思い写真を撮る。身内の最後かもと判断したときに、その姿を撮る判断は僕の日常ではない感覚で、山を登攀する人間の覚悟というか精神性を垣間見た気がした。
「クライミング・フリー」はリン・ヒルの自伝。彼女はヨセミテに代表されるビッグウォールを己の力のみで登攀するフリークライマーである。体操で培った柔軟で美しいムーヴで女性クライマーの歴史を塗りかえた。クライマーの方々の本を読むと、欲望について考えさせられる。溢れた娯楽で、己の欲望を中途半端に満足させてしまうと、最優先したい欲望が鈍化してしまう。自分が何を叶えたいのか自覚しないと、真の欲望は先鋭されない。ピークには辿り着けない。 2015/1/15
世の中には、ストレスに強い人と弱い人がいる。どうしてストレスに強い人がいるのか、そのナゾが先日ひょんなことで解けた。体力には「行動体力」と「防衛体力」と呼ばれる2つがあるそうだ。「行動体力」は、その名の通り行動するときに必要な筋持久力のこと。「防衛体力」は、寒さや免疫力、精神的ストレスに対する耐久力のことだ。どちらもジョギングや水泳などの全身持久力のトレーニングで鍛えることができる。「行動体力」は主に心肺機能を鍛えると増す。一方「防衛体力」は副腎という器官を強くすると良い。副腎が鍛えられると、ストレスへの抵抗力を持つホルモンの生産力を上げることができる。心を落ち着かせる他の手段としては、茶道や禅、ヨガ、アロマなどがある。だが、人間の器官そのものを強くすると、心にも影響が出るというのが非常に面白い。あなたの悩みは、心の持ちようではなく、器官を強くすることでやがて無くなるかも知れない。登山家が寒さや死の恐怖に強いのは、持って生まれた性格などではなく、副腎を鍛えているからなのだ!ナゾはすべて解けた。参照「山でバテないテクニック」山と渓谷社。 2015/1/8
Five Tenというクライミングシューズメーカーの”イグザムガイド”という靴である。Five Tenはソールを独自に研究開発し、そうして完成したのが”ステルスラバー”だ。このソールが出来た当時は、多くのクライマーがFive Tenのシューズにこぞって買い替えたほどだそう。岩場を歩く場合、大事なのはフリクションである。様々な形をした岩と、形状に変化のない靴の底が、接する面積をどう広くできるかどうか。静止摩擦係数が多いほど、滑りにくくなるのである。そうして編み出されたものが”ステルスラバー”というわけだ。実際はどうなのか、屋久島の宮之浦岳に登ったときに試してみた。前回は、単なるスニーカーだったので、水場の多い岩場では何回も転んだ。ところが、やはりステルスラバー。今回は一度も転ばなかったのである。けれども、クライミングメーカーの靴だからなのか、イグザムガイドはジャストサイズで履いても、若干窮屈さを感じる。クライミングシューズは本来つま先に力が入るように窮屈に出来ているものなのだが。イグザムガイドは、アプローチシューズというカテゴリに入っている。クライミングする岩場まで、歩いていくための用途なのである。なので、縦走するような長距離登山には向かないのかも知れず、他の靴よりも脚に疲れを感じた。ただ、中距離登山ならさすがに安定したソールだと思う。沢登りとかに向いているのかも知れない。滑らないという点では、ほぼ最強だと思う。誰とでも仲良くはしないスペシャリストなやつなんだと思う。 2014/06/14
武井壮というひとがこんなことを言っていた。少年野球をやっていた頃、全打席ホームランを打とうと思っていた。けれどそれは容易に叶わず、ある日父親がホームビデオで撮った映像を見たときに、武井氏は愕然とした。自分が思い描いていた姿とあまりにかけ離れた姿だったからだ。スポーツは自分の思うように身体が動けば全てが成功である。あの棒を飛びたい、あそこにヒットを打ちたい。それを発見した時、武井氏は雷に打たれた衝撃だったという。つまりスポーツそのモノの練習をしても意味はなく、自分の身体を思うように動かす練習だけをすれば良い。ナルホドと思った…。僕は最近ボルダリングをしていてよく思う。思い描くムーブはあるのだけれど、身体が思うようについて来ないのだ。つまり自分を動かせていないのだ。それでグラフィックデザインの話に繋がるのですが、思い描いたものを絵として可視化させるためには、自分の技術を思うように動かさなくてはならない。これもデザインの練習ばかりしても仕方ない。相対的に自分の能力を知ることが練習の第一歩である。 2014/1/19
加茂克也さんの展示を先日観にいきました。ファッションショーのヘアメイクで有名な方なんだなぐらいの事前知識でした。作業机や日常で採集しているコラージュBOXも展示されていた。造形の凄まじさも然ることながら、加茂さんのDIYぶりにとても感銘を受けました。グラフィックデザインにおいても、パソコン上だけで構成するのではなく、やはり人の手で作ったブレというか、揺らぎを取り入れたいと常々考えていたりします。けれども、その揺らぎなるものは、ひょっとすると危うい地平であり、自分自身を信じて突き切ることでしか先鋭されないものだったりします。他を省みない孤独な旅人が行き着く地平である。そもそも人はそれぞれ違うのだから、それぞれのやり方で良いのだと言われている気がしたのでした。 2013/11/26
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