Blog | codomo - Part 2

Elements are Confidence

自信ってなんだろうと時折、考える。人によっていろんな解答がある。主導権を握ることだと言う人。場数だと言う人。ボーンズ・ブリゲートという映画がある。プロスケーターのドキュメントなのだが、ロドニー・ミューレンというスケーターが出てくる。彼は11歳でプロになり20代前半まで35の大会で34勝し、数々の革新的なトリックを生み出したパイオニアだ。彼の回想をきくと、朝から晩まで練習し酒も女にも眼をくれず、ボードを抱いて眠っていたそうだ。純粋にほんとに純粋にスケボーだけに執心して就寝していたのだろう。こういう人を見ると、自信というのは単なる言葉だなと思ってしまう。フィギアの浅田真央選手は自信ありますか?と記者に訊かれると、いつもこう答える。自分のなかのエレメントを発揮するだけですから、と。僕はいちばんこれがしっくり来ている。普段、観ているもの、感じてきたものを、至る瞬間に表現できるか、それでしかない気がする。だからロドニーも浅田選手も練習した。その瞬間に発揮するため、ひたすらエレメントを自分の中に積み込んで。自信とはそんなモノだと今は思う。 2013/4/20

i am who i am

君がどこに住もうと どんな仕事をし 何を話そうと 何を食べ 何を着ようと どんなイメージを見ようと どう生きようと どんな君も君だ 独自性ーー人間の 物の 場所のーー独自性 身ぶるいする嫌な言葉だ 安らぎや満足の響きが隠れている”独自性” 自分の場 自分の価値を問い 自分が誰か”独自性”を問う 自分たちのイメージを作り それに自分たちを似せる それが”独自性”か? 作ったイメージと自分たちの一致が? ぼくらは都市に生き 都市が生きて 時とともに 国から国へ動き 言葉や習慣が変わり 考え方や服が変わる 全てを変え 全てが変わっていく もはやオリジナルもコピーもない 全てが”コピー”だ オリジナルとコピーの違いがなくなった ”独自性”は弱くなった ”独自性”はアウト流行遅れだ(中略)。これはヴィム・ヴィムダースがヨウジ・ヤマモトを撮った都市とモードのビデオノートという映画の冒頭文。誰と会っても同じ印象を人は抱かない。綿毛のようにすぐ飛んでいき、知らない処で勝手に咲いているようなもので、そういう微かなものを、私と主張するのは妙な気分でどこか落ち着かないとふと思う。 2013/04/18

Style is Everything

Les Twinsというフランスの双子ダンサーがいる。舞踏にはブレイクダンスやクラシック等様々あるが、枠に収まらないことがある。Les Twinsは独自の動きをする。動きが独特というのはよくある話だが、彼らは”Style”を持っている。『Dogtown & Zboys』という映画がある。水のないプールでスケボーを始めた人達が描かれているドキュメントなのだが、彼らの始めたトリッキーな滑り方は、やがて全米へ、世界へと広まっていく。”Style is Everything”だと彼らは言う。不思議なことに始まりはエッジの効いたマイノリティなものほど、波及すると新しい文化になる。かつて、ヴィヴィアン・ウエストウッドが小さな店から始めたボンテージは反骨の象徴としてパンクという文化をつくったように…。Les Twinsよりダンス技術が上手い人は沢山いる。けれど、独自の”Style”を持っているということがとても貴重なのだと思う。とは言え、独自であれば何でも良いわけでもなく、それは格好良くなければならない。流行るということには、美がついてまわる。 2012/09/21

Tom boy

空をプールのレーンに空目した夏。今年はロンドンオリンピックの夏だった。柔道の松本薫選手の闘争心と集中力には感服した。女性に失礼だが、まるで獣のような闘いだった。アンダーワールドという映画の狼男族を思い出した。一瞬の集中力は凝縮された濃度の高いもので、勝負の舞台でそれを発揮できること。プロフェッショナルの精神を感じた。心・技・体とよく言うが、3つどれも欠けさせずにパフォーマンスを発揮するのは、凄まじい集中力の賜物だ。レスリングの小原日登美選手は、松本選手とはまた違う精神性を感じた。人生や経験、人の想い、これまで生きて背負ってきた力を感じた。若さは、大胆で野心的な自信家であり、それは魔法のかかった勢いのようで、時に才能とも呼ばれ他を圧倒する。小原選手は最盛期を過ぎた選手であるが、年輪の強さを見た。年を重ねるということは、多くの時間が人が通り過ぎ、それらは自分を奮い立たせる力になる。闘争心は自分の野心だけでは呼び起こされない。闘いに男も女も最盛期を過ぎようが関係ない。相手すらも関係ないのかも知れない。人は横を見ながらは速く走れない。前だけ見て走る集中力がほしい。 2012/09/04

Butterfly in the Stomach

昔、九州の炭鉱が盛んだった頃に”スカブラ”という職業があったそうです。炭坑夫は、泥と汗にまみれながら石炭を掘っていました。勤務が終わって炭鉱から出てくると、その中に1人だけ汗もかかず服も汚れず、ニコニコと笑っている男がいたそうです。この男が”スカブラ”です。スカブラは、他の炭坑夫のように石炭を掘りません。炭鉱の中で、面白い話やHな話をしたり、みんなにお茶を出したりします。

時代が変わり石炭をエネルギーとして利用しなくなると、炭鉱経営も傾いていきました。するとリストラの話になり、何も生産的な仕事をしていないスカブラは真っ先にいらないのではないかという結論になりました。そして、スカブラのいない炭坑夫たちの作業効率は、結果大きく下がっていきました。人間関係もギスギスしていったそうです。

仕事には失敗して良いことはなく緊張は必ず伴うものです。しかし、スカブラ的な行為はいつだって必要です。誰かが冗談を言ったりドジな振りをしたり、ユーモアで緩和させることがなければ、一つの失敗だけが際立ち、責め合う関係性も生まれます。スカブラが存在できない仕事や社会というのは危険です。バイクのブレーキだって事故を避けるために”遊び”と呼ばれる間を設けています。間がない緊張は良くないのです。僕がおっきな会社の社長さんだったらぜひスカブラ職を復活させたいです。昔、ブックデザイナーの祖父江慎さんに取材した時にデザインのコツを訊いたら、うっとりしながらすることが大事とおっしゃっていました。対象に惚れ込んで仕事ができ、横にスカブラが居てくれたらもう最高です。 2012/07/14

35mm Film Camera

気軽に撮れる35mmフィルムカメラが欲しくて探していたところ、京セラTプルーフというカメラに出会う。1995年発売当時さほど人気が出なかったようだが、海外ではYashica T4として高い評価を得ており、日本よりも人気があるようだ。レンズには、カールツァイスのテッサーT* 35mm/F3.5を搭載している。Yashicaはフォトグラファーのテリー・リチャードソンの愛用カメラとしても有名である。

さっそくオークションにて探してみるが、なかなか数も少なく、競ると3万円台になる。他にないかとさらに探したところ、荒木経惟やHIROMIXが愛用していたKonica Big Miniシリーズに行き当たる。これは平均で1万円ぐらい。カメラじゃない、何を撮るかなのだと当初の目的から変更し、Konica Big Mini初代の後継機BM-201を競り落とした。BM-201のレンズも抜けが良く鮮明な35mm/F3.5がついているそうだ。

昨年からデジタル一眼をよく使用していたがカメラが大きいので、あ!と思った瞬間にパッと撮るにはなかなか難しく感じていた。マグナムのドキュメンタリー映画を観て35mmを見直した経緯もある。iPhoneで撮っていても感じるが、大きさによって撮れるものは異なる。Big Miniの大きさで何が撮れるのか何が撮れないのか楽しみだ。 2012/06/28

Reason for Being

人間の最大の発明は文字だ、と僕は思う。文字を使ったコミュニケーションこそ我々人間の快楽だ。文字は情報を持っている。美しさも兼ね備えている。つまり、かなり才色兼備なやつなのだ。新聞社にいた頃、新聞明朝を制作しているフォントデザイナーの方に話を伺ったことがある。いまだにと言うと失礼だが、紙をカッターで切って書体を制作していた。時代に合わせて、書体を少しだけスリムにしたり整えたりしている。その作業はほんとうに微細で読者は誰も気づかない。故スティーブ・ジョブズは大学でタイポグラフィの講義を受け、文字デザインの整然とした思想をパソコンのエンジニアリングに取り入れようと思ったそうだ。だからMacのデザインは整然としている。僕のwebのtop画像にあるMacは段ボールで実際作ったのだが、寸法を測ってみて驚いた。5や0mmと区切りの良い数字で設計されていた。書体が面白いのは、可読性は当然必要とされるが、存在理由に美しさも必要とされることだ。そして生きた時代を感じさせることも。 2012/06/21

Open sourcs

デザインはどうしたらもっと上手くなるのだろうか?「Number」というスポーツ雑誌が好きなのですが、スポーツ選手の考え方を見本にすると、デザインも上手くなる気がします。一流選手は練習法がとても合理的です。足らない所は何か、自分より上手い人から取り入れる観察力や柔軟な思考を常に持っています。理想像を具体的にイメージして日々積み重ねるのです。伝説の忍者・猿飛佐助のことを書いた本を昔読みました。それによると猿飛佐助というのはひとりの人物ではなく、集団の呼称だったそうです。猿飛佐助というのは“型”に過ぎず、卓越した技術それ自体を猿飛佐助と呼んだのです。集団はその“型”を共有することで誰もが卓越した技術を持った忍者になれたのです。今で言うオープンソースみたいなものです。Graphic designにも文字組やレイアウトの基礎的な”型”はあります。基礎を飛び越えてこそ、猿飛佐助のような卓越した”型”が生まれるのだと思います。主題が脱線しましたが僕もまだ答えに辿り着けずでして…おそまつでした。 2012/05/29

Organaize City

NYに初めて一人旅行した時、右も左も分からず迷うだろうと思っていた。地図を見ると、街の構造が分かりやすいことに気づいた。すべての通りの名称が2th Avenueとか5th Streetのように数字で構成されている。2thから3th Aveに行きたければ隣の道を目指せば良い。交差点に標識もあるので今自分がどこにいるか直ぐ分る。言語が違えど数字は世界共通のグラフィックなわけで、これは移民の多い都市の知恵なのだろうか。日本と違うなぁと思ったのは電車内の広告だ。ひとつの広告に対して文字量が少ない。写真と文字の関係がとてもシンプルだなと思う。多くの情報を掲載するよりも速度の早いコミュニケーションが求められた結果だ。NYは古い建築と新しい文化が共存した街だが、サインも含めてコンセプトがとてもシンプルだ。東京も速度の早い街だが比べると少し余分な情報量に埋もれている。グラフィックデザインも都市計画の一部だと思った。 2012/05/26

A spicy play

古今亭菊之丞という落語家がいる。高座は古典が多いようだが、どこかモダンな雰囲気がある。友人に誘われて行ったきり注目している。彼の高座は「寝床」「幇間腹」「子別れ」の3つを観たことがある。旦那芸にとても色気がある。そういうのをこの業界では“様子がいい”と言うらしい。

落語は演じる人によって、同じ話でも雰囲気がまるで違うから面白い。若手には時折、緊張が垣間見える。演じ手が緊張しているピリっとしたムードは、こちらにも伝わって来る。そうなると笑える話も笑いにくくなる。おそらく“様子がいい”人が演じる旦那だから色気があるし、余計に滑稽さも感じるのかも知れない。

滑稽さを笑えるということは、うまくいかないことを許せるということでもある。うまくばっかりいく人なんていない。失敗をどう展開すればユニークになるのか、あるいは良い方向に転がせるのか。みんなが緊張した中でユーモアをつくれる人を僕は尊敬する。来世は落語家になりたい。 2012/04/30

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